みなさん、こんにちは。
前田千文です。
今日も涼しい朝を迎えました。
涼しい反面、
肌が乾燥するように
なってしまいました。
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【私のモットー】
企業活動を通じて
人々の意識進化に貢献する
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今日のタイトルは
瞑想はわざわざするものなのか?
私はウォーキングが趣味なので、
乾季に入ると
出来るだけ公園を歩くようにしています。
普段はジムのマシーンを使っています。
昨晩、ランナーが集まるお店に行ったのですが、
走っている時に何を考えているか?
という話しになりました。
意外と皆さん、
私もですが
何も考えていない・・・
思い浮かばない・・・
否定的なこと、
細かいことは考えられない・・・
そんな声が多く聞かれました。
中には
美しい女性の後姿を・・・
ふと、ある方が、
こんなことを言いました。
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走ることは瞑想と似ている…
呼吸…
特に吐く時にエゴを
吐き出しているような気がする。
いろいろな考えは浮かぶけど
ふと何も無い、と気が付く事がある。
わざわざお寺に篭って
瞑想をする必要はなく
日常の中で
瞑想をしている状態になっている…
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これって、
とても深い話だと思って
聞いていたんです。
おそらく歩いたり、
走ったりすることで
人は「快」の状態になり
そこから「無」に近い状態になるのでは?
快、不快もあるし
雑念もある。
起きているけど動いているけど
瞑想をしているんだ…
それを、
ただただ無意識の中で
体感しているんだ…
だから、走っているんだ…
「ある」 けど 「ない」。
「ない」 けど 「ある」。
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読んでいただきありがとうございました。
応援宜しくお願い致します。
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NGOミニマムの活動を支援しております。
タイにおける難民支援活動
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